入門者向け
日本の城の防御施設
日本の城の起源は弥生時代の環濠集落。それから江戸時代に至るまで進化を続け、画期的に敵を倒すための様々な防御設備が導入されました。
また、城の構造は立地や時代的背景によって変化するので、それぞれの地方で異なる工夫をみることができます。
今回は名城の防御についてざっくりまとめてみました。画像の読み込みには少々時間がかかります。
名城の防御設備
1,堀
堀とは、敵の侵入を防ぐために設けられた溝のことです。上の断面図のように水が張られている堀を水堀、水が無い堀は空堀と区別されます。
形状では、堀底が平らな箱堀、断面がVの字の薬研堀などと分けられます。
箱堀で銃弾を防ぐ
(箱堀の断面)
(広島城の箱堀)
しかし、その分底が浅くなってしまうため、水を張って水堀にすることが多かったようです。
(上田城の百間堀跡)
近世、鉄砲が攻城戦の主力兵器となると、深さよりも堀幅を求めるようになり、箱堀を用いる城が増えました。
阻障で動きを封じる
(山中城の障子堀)
(小机城の空堀。かつては障子堀だった可能性が高い。)
薬研堀で的確に討ち取る
(薬研堀の断面)
(本佐倉城の薬研堀)
そのため深く掘るほど殺傷能力が増します。
(滝山城の薬研堀)
多重防御の二重堀
(二重堀の断面)
黒い点線の部分まで掘れば巨大な薬研堀になりますが、あえて残しておくことで、掘削量を削減しつつ、同等の堀幅を持つことができます。
さらに、図中の赤い矢印は城内側から攻撃できる地点を示していますが、通常の薬研堀よりもその数が多く、より効率的に反撃できることがわかります。。
(狩野城の二重堀)
2. 土塁と切岸
土塁
土塁とは、堀を掘削した際に出る土砂を盛り上げて壁にしたものです。守備兵が射撃の足場にしたり、身を隠したりするために使用します。高さを得ることで、優位に立つことができるのです。
(興国寺城の土塁)
(松本城の櫓台土塁)
切岸
(興国寺城の切岸)
3,虎口
城の出入口(土塁や石垣の切れ目)のことを虎口といいます。敵が簡単に侵入できないように、工夫が凝らされていました。
食い違い虎口
(上田城の食い違い虎口)
しかし、そうすることで二方面からの反撃が可能になります。
(食い違い虎口のでの反撃)
(本佐倉城の食い違い虎口。虎口内に立っているのはイラストレーターの香川元太郎さん。)
桝形で一網打尽
食い違い虎口より、さらに防御力を増したものが桝形虎口です。
(桝形虎口)
(竹田城の桝形虎口)
(会津若松城の桝形虎口。)
(福山城の桝形虎口)
その他の虎口
その他にも敵の侵入スピードを抑えるため坂に設けられた虎口坂虎口、
埼玉県比企郡で見られる虎口比企型虎口、
虎口の前に馬出を設けた馬出虎口、
屈折など、防御能力を持たない平入り虎口、
うずまきのように折れ曲がり防御力を高めた巴虎口
などがあります。
(備中松山城の虎口)
(姫路城はの門前)
(熊本城の桝形虎口)
(松江城の桝形虎口)
(佐敷城の桝形虎口)
4,塀と塁線
塀
城を守るうえで塀も重要な設備の一つです。
(松本城の塀)
(熊本城の塀)
(姫路城の塀)
(金沢城の海鼠塀)
折れ
塁線を屈折させることで、多方面からの攻撃を可能にした城もあります。
(折れでの攻撃)
(三角形型-折れでの攻撃)
(杉山城の折れ)
(龍岡城の折れ)
狭間
(備中松山城の狭間)
(岡山城の石狭間)
城内を守りながら反撃もできたのです。
ちなみに、塀が白いのは漆喰のためです。漆喰は100年以上固まり続け、最終的に石に戻るという性質があります。
5,石垣
(津和野城の石垣)
日本の城では石垣にも様々な仕掛けが見られます。
雁木と合坂(武者走り)
守備兵が効率的に石垣上へ上がれるように、城内側に雁木や合坂という階段が備えられました。これによって素早く持ち場について反撃の態勢をとることができます。
(二条城の雁木)
(会津若松城の合坂)
勾配
(伊予松山城の反り返った石垣)
防御施設として考えると、一直線で垂直に積む方がよさそうですが、緩く反り返すことで石垣が安定し、耐震性に優れています。
石垣の半分の高さから反りはじめ、上部はほぼ垂直になるため、よじ登ってきた敵兵を退ける意味もありました。
多重石垣
(備中松山城の石垣)
(米子城の石垣)
石垣の工夫
(人吉城の石垣)
(岡城の石垣)
6,城門と馬出
城門
門にも様々な仕掛けがあります。下の写真のように、扉の上に櫓(射撃のための建物)を乗せた門を櫓門といいます。
門を通ろうとする敵兵を窓から攻撃できるメリットがあります。
日本の城で使われる門は、冠木門、高麗門、薬医門、など様々です。
(小諸城の門)
その他の門
(伊予松山城の門)
(姫路城のにの門内部)
馬出
馬出とは、城門や虎口の前に城から突出されるように設置された防御&反撃の拠点のことです。
(馬出での戦闘※手前が場内側、青が守備兵。)
(広島城の馬出)
このように四角形の馬出を角馬出といい、半円形のものを丸馬出といいます。
(杉山城の馬出)
一文字土居
虎口の前後に一文字土居という、直線の土塁を築く場合もあります。特に、城外側にあるのが蔀, 城内側にあるのが茀です。
(茀土居での戦闘)
また、上のシミュレーション画像のように、敵兵を二手に分散させて、城内にて各個撃破する目的もあります。
7,櫓
射撃による防御のため、石垣や土塁の上に築かれた楼を櫓(矢倉)といいます。
(熊本城の櫓)
(金沢城の石落し※張り出した部分が石落し)
(松本城小天守(辰巳附櫓)の石落とし)
(伊予松山城の石落とし)
(金沢城の櫓)
(熊本城の忍び返し)
(高遠城の櫓)
(岡山城の櫓)
(熊本城の櫓)
8,天守
(姫路城天守)
(福山城天守)
これは、福山城の北が丘続きで、北側から砲撃されやすい地形だったためです。
(松江城天守)
(松江城大天守入口)
(丸岡城天守)
(備中松山城天守)
天守内部
(姫路城天守内部)
(姫路城天守内部)
(松本城天守内部)
9,橋
橋は、敵の侵入を防ぐため、斜めに架けたり途中で折り曲げたりすることがあります。
(折長橋)
(松本城の折長橋)
土橋
土橋とは、その名の通り土で造られた橋のことです。
(岩櫃城の土橋)
(白河関の土橋)
10,縄張り
郭
曲輪(郭) 曲輪とは、塁線で囲まれた平坦な区域のことです。守備兵が待機したり、防衛拠点として使用されます。 例えば、
(切岸下の死角)
(能島城)
曲輪の配置も城ごとに様々で、周囲の地形などから決められました。
脱出路
城によっては緊急時の脱出路が確保されていました。例えば江戸城では、緊急時に将軍が半蔵門から脱出し、甲州街道を進んで北伊賀町、南伊賀町で忍びの者らと合流できる構想があったと言われています。さらに進むと、忍びの集合場所「笹寺」を通過し、常に忍びに警護されながら幕府直轄・甲府城へ避難できるのです。
(抜け穴説がある上田城の井戸)
11,立地
地形と交通
城は立地環境も考慮して築かれます。詳しくは以下のページに掲載しています。名城の占地を考察
ベストな立地は
攻撃されにくい険しい場所、水堀などの築造に向いた水源付近、補給・連絡が取りやすい街道筋、他の支城との連携が取りやすい場所、見晴らしの良い場所、等々。
(備中松山城が築かれた臥牛山)
(備中松山城)
(岩櫃城が築かれた岩櫃山)
(能島城を囲む瀬戸内海)
城下町
長期戦にも対応できるように、城下町を城に取り込んで土塁や石垣で囲んだものを総構といいます。敵に取り囲まれても自給自足で対抗を続られるようにするためです。 敵が攻めてきたとき、伏兵を忍ばせた城下町まで敵兵を引き寄せて迎撃するという反撃方法もありました。
支城ネットワーク
(支城ネットワーク)
城ごとに境目の城、伝えの城、根城、繋ぎの城、本城のいずれかの役割を持つことで、効率良く国を守ることができます。
国境に近い境目の城は領内で真っ先に攻撃を受けるため高い防御力を持っていました。
伝えの城は、敵を察知するため見通しの良いところに築かれました。
根城は、その地域の拠点で、緊急時は補給や援護の中継基地になります。
繋ぎの城は、軍を収容できるスペースが確保されていました。
本城は、国の中心で大名が居住しています。
↓合戦時の流れはこんな感じ↓
1、境目の城が攻撃を受ける
2、伝えの城がそのことを察知し、のろしを上げて他の支城へ連絡。
3、繋ぎの城、本城が連携して援軍を集結させる。
4、援軍は根城を経由して境目の城へ。
5、援軍と敵勢の間で合戦が起き、敵を撃退する
6、防衛成功
おまけ
(姫路城の門)
(岡城の城内)
(八代城の桝形)
(上田城の石垣&土塁)
(松本城の桝形前)
(備中松山城天守付近)
(上田城の櫓門)
(上田城の石垣)
(鳥取城の石垣)
(岡城の石垣)
城用語データベース