松本城(長野県松本市)へ行ってきました。
松本城の見どころ集
松本城では、敵兵を撃退するための仕掛けや、築城時の様々な工夫を見ることができます。今回はそのような見どころをまとめてみました。
※写真が多いので、すべて表示されるのに時間がかかります(´・ω・)スマソ
1,埋橋
松本城内堀に架かる「埋橋」。昭和30年に造られた橋ですが、これも見どころの一つです。※埋橋は現在は老朽化のため渡れません。
2,足駄塀
江戸時代、埋橋の北側には「足駄塀」という板塀が堀をまたぐように設置されていました。本丸の西側、東側の二か所にあります。堀の中に杭列を打ち込み、それに板塀と屋根を取付けて造られていました。
3,埋門
埋橋の先の、黒い柵のあるところは、埋門という形式の門でした。水門としての役割も持っていたといいます。4,天守台石垣
天守台石垣は筑摩山地産安山岩の山石で築かれた野面積み。比較的低く、斜面が緩やかなのは、地盤が弱く高く積めなかったためです。
隅角部には算木積みを用いることによって耐久力を増しています。
劣化のため、一部は昭和30年の改修の際に掘り出され、代わりにコンクリート柱が埋められていますが、
このような工法が天守に用いられるのは珍しいため、松本城独自の工夫ともいえます。
他にも、天守台を安定させるために「筏地形」「割栗地形」などといった技術が投入されました。
5,太鼓門桝形
松本城東にある太鼓門周辺も見どころ満載です。 高麗門(城外側の小さな門)を通ると、太鼓門(城内側の大きな門)の手前に、塀で区画された四角形の空間があります。これを「桝形」といい、城に侵入しようとする敵兵を四方から射撃し、門を守るための防御施設です。それから、手前にある高麗門にも注目です。よく見ると扉に丸い出っ張りがいくつかありますが、これを「乳金物」といいます。
また、太鼓門桝形北側石垣の上には時報のための太鼓楼があったとされています。
6,玄蕃石
太鼓門石垣にある巨石は、「玄蕃石」といい、高さ約4m,周囲約7m,重さ22.5トンを誇ります。名前の由来は、築城時、この石の運搬中に人夫が苦情を申し付けたため、石川玄蕃頭康長がその人夫を斬首し、首を槍先に掲げて作業を続けさせたと伝わるためです。
日本の城は、巨石を門や桝形内など人目につきやすいところに設置することで、権威を誇示するので、松本城玄蕃石もそのような理由で太鼓門石垣に用いたのでしょう。
7,御金蔵
二の丸に唯一現存する金蔵。慶応3年築。二の丸北西隅にあり、扉は二の丸御殿の反対側に開かれ、本丸と仮橋(※今は現存しない)でつながっていました。
8,二の丸御殿
本丸御殿が消失した後、代わりに藩庁としての役割を果たしたのが二の丸御殿です。石川氏の造営で、本丸御殿に次ぐ規模を持ちます。 明治4年には筑摩県庁が置かれました。かつて、二の丸御殿跡地には松本裁判所がありました。(現在、移築され司法博物館になっています。)
9,若宮八幡宮跡と馬出
二の丸西北の若宮口(埋橋付近)には松本城鎮守若宮八幡宮がありました。また、若宮口は「馬出」という防御施設がありました。
馬出とは、門前や出入口の前に築かれた郭のようなもので、城を攻められたときに反撃や応戦ができます。
馬出は形状によって半円型の「丸馬出」と四角形の「角馬出」で区別されますが、松本城にある馬出はどれも丸馬出です。信濃国では松本城のように、丸馬出を用いる城が多いことも知られています。
10,三の丸跡
11,二の丸東北櫓台
12,黒門桝形
↓写真は黒門乳金物
13,狭間
天守内部にもみられます。
特に、上の写真のような、控え柱のある城壁では、控え柱の上に板を渡すことで、上下二重に兵士を配置して火砲攻撃もできます。
14,本丸御殿跡
上の本丸御殿跡地の写真の左下にある長細い石は、「沓脱石」といい、本丸御殿廊下前にあったものです。
15,天守
特殊な逓減率
大天守を外からよく見てみると、各階の屋根の大きさが不規則なのが見て取れます。松本城天守は「層塔型天守」と呼ばれる形式のため、普通、屋根が上にいくにつれて同率で小さくなっていきます。つまり、形の整った天守は、各屋根の先端を線でつなげば直線になるのです。しかし松本城天守はそうではなく、一重目(※重=屋根)と二重目の逓減が小さいのに対して二重目と三重目の逓減が大きかったりしていて、バランスが悪いのです。これは、周りの小天守と窮屈にならぬよう、緻密な計算のうえ、わざと逓減率を乱したのだともされています。
瓦の工夫
天守には84591枚の瓦が使われています。また、雨水を垂直に落とすための「滴水瓦」という瓦も見られます。
石落とし
辰巳櫓と月見櫓にも、天守と形状は違いますが、石落がみられます。↓
破風
破風は天守の格式を高める重要な部位です。松本城には「唐破風」と「千鳥破風」と「入母屋破風」がみられます。
↓↓唐破風。特に、この形状は「向唐破風」ともいいます。装飾性が高く、格調高いつくりのため、安土桃山時代には神社などで使われました。懸魚は「兎の毛通し」。↓↓
入母屋破風は最上層の屋根のみにあります。懸魚は「蕪懸魚」
鯱
南側の鯱は高さは130.29cm,北側の鯱の高さ127.26cm。昭和の大修理で降ろされた古い鯱は天守一階で展示されています。16, 天守内部の見どころ
柱を見る
松本城天守は、上層部と下層部で木材の表面の仕上げが異なることから、二期の増築で建てられたという説があります。下層部の柱の表面を見ると、釿(ちょうな)で荒々しく仕上げられています。↓↓
さらに、柱には「金輪継ぎ」や「台持ち継ぎ」などといった、組み合わせる技術が確認できるので、必見です。
各階の見どころ
一階 一階は、天守台の歪みに合わせて平行四辺形になっているので、壁もやや湾曲しているところがあります。昔は部屋が区画されていて、倉庫として使われていた所もあったそうです。
入口は、5重天守としては珍しくこじんまりとしています。
武者走り、狭間、石落しも必見です。
二階
三階(暗闇重) 三階は二層目の屋根の内側にあり、一番安全な場所です。
また、屋根に隠れているため外から見ると二階との区別がつかず、まるで本来6階天守のはずが、5階天守のように見えてしまいます。これも敵を欺く罠かもしれません。
ちなみに、内部は薄暗く、南側千鳥破風からの光が少し入るのみです。
倉庫として使われていて、戦時には兵士が待機していた場所とされています。
ちなみに、三階の天井には、四階床強化のための板が貼られているそうです。(立ち入り禁止なので見れませんでした)
四階 四階は天井が高く、高級なヒノキが用いられた格式の高い造りで、城主が控える御座の間がありました。
天井が高いため、その分階段も急勾配になります。
五階 五階も天井が高く、中央に広間が設けられていました。四方に窓が開き、戦時に戦況を確認するのに都合がいいです。
千鳥破風の間↓↓戦いの指令や戦況確認をするところです。↓↓
六階 最上階。松本市街を一望できます。天井には二十六夜神が祀られています。
17, 小天守
乾小天守
乾小天守は現在非公開ですが、一階で内部を少し見ることができます。一階にある丸柱は直径41cmと太く、乾小天守の真柱にあたります。
辰巳附櫓
辰巳附櫓は、石垣から建物が張り出していて、その部分が石落しになっています。辰巳附櫓には、装飾性の高い花頭窓があります。
月見櫓
松本城主・松平直政が徳川家光のために増築した櫓。 月見のための櫓で、開放的な造りになっています。朱塗りの高欄がよく映えます。
登城メモ
・深志橋のほうに、総構の濠(外堀)が見られます。
・北裏門跡,二の丸裏御門跡,北不明門跡を散策するのも楽しいです。
おわり
・Googleの口コミに、天守の階段が急勾配なことに対して「登りづらい」「説明があるべき」等批判的な口コミが多々ありましたが、スタッフの方が優しく誘導してくれるので大丈夫でした。
階段を登るのは一苦労ですが、それも現存天守ならではの魅力。批判する奴はただの無知ですね。
・土曜日に行きましたが、そこまで混んでいませんでした。待ち時間も無く、ゆっくり城内を観察できました。
・堀に白鳥がいました。
・深志橋のほうに、総構の濠(外堀)が見られます。
・北裏門跡,二の丸裏御門跡,北不明門跡を散策するのも楽しいです。
参考文献
松本城のすべて 世界遺産登録を目指して 「国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会 記念出版編集会議・編 令和4/6/30 信濃毎日新聞社
名城を歩く7 松本城 西ヶ谷恭弘・監修 2010/1/8 PHP研究所
図説 近世城郭作事 天守編 三浦正幸・著 2022/1/31 原書房
名城の石垣図鑑 小和田哲男・著 2020/8/13 二見書房
近世城郭の謎を解く 城郭資料研究会・著 2019/5/8 戎光祥出版
城の科学 萩原さちこ・著 2017/11/20 講談社
城用語データベース