葛西城とは?

東京都葛飾区にある城。 1454年、享徳の大乱が勃発し、足利成氏と関東管領 上杉氏が江戸川の挟んで敵対。その際、上杉氏の目代、大石氏が上杉氏の拠点として築城したと言われ、1538年から北条氏に支配されて国府台合戦などで活躍した城です。江戸時代には徳川将軍家の鷹狩り時の宿泊所として利用されていました。

写真

> 葛西城の石碑。青砥藤綱が築城した説から、「青砥藤綱城跡」と刻まれています。

発掘調査で金銭出土

1973年の調査では35枚の古銭が出土。そのうち11枚が種類不明。 寛永通宝、洪武通宝が集中しています。 1974年から1975年の調査では39枚の銭が出土。そのうち6枚は種類が不明のもの。 洪武通宝、永楽通宝、元豊通宝が集中しています。 1976年の調査では17枚の古銭が出土。すべてが銅銭でそのうち4枚が種類不明。 開元通宝が集中していました。

第六次調査での古銭出土

1980年の調査(第六次調査)では井戸跡の中央からやや南東よりの地点の底面から一括で4771枚出土。発見時は植物質の紐で通されていました。58種の銭名を確認。 なぜ井戸に沈められていたのか不明です.. 6次調査では4771枚、5次調査までを含めると 合計4988枚の古銭が見つかったのでした。

第六次発掘調査出土古銭一覧

円グラフを作成しました。60ほどの銭名があったが多いので主要なものだけを取り上げ、あとは「その他」とした。

写真

ダウンロードする

古銭の情報

唐銭は開元通宝、乾元重宝の2種類が出土。
北宋銭は出土古銭の70%を占める。
出土古銭のうち南宋銭は2.1%と低い割合を占めている。

考察

葛西城は、以前まで戦時の臨時的な城だったといわれていましたが、現在では長期的な使用を目的として築城された城といわれるようになりました。 621年発行の開元通宝から1433年発行の淳元通宝まで出土されていることからも、 大量の銭が保管されていたと考えると、臨時的な城としては考えづらそうですよね。古銭の出土は長期的な使用を目的とした築城であったことを裏付ける証拠になります。 しかし、葛西城は国府台合戦の時の北条方の最前線の城だったので、国府台合戦の軍事資金とも考えられます。 未だ不明のままです... 調べてみると、葛西城から西方1kmの亀有1丁目で35000枚の古銭が出土した例があるそうなのですが、それと関連性があるのかも不明だそうです。