日本城郭で唯一、福山城天守北側外壁には、鉄板が張られていました。
福山城の北側が丘続きで、北側から砲撃されやすい地形だったため、火砲に備え張られました。
去年、その鉄板の一部が発見されて注目され、復元が進められてきましたが、ついに2022年8月、復元された福山城天守が一般公開されることになりました。
なので、今回は福山城天守の鉄板について書きます。
福山城天守
今まで、福山城天守鉄板の存在自体は分かっていたものの、詳しい実態が解明されておらず、福山城復元天守には鉄板は復元されていませんでした。
福山城天守は昭和20年の空襲で燃え尽きてしまいましたが、同時に鉄板も焼失したと考えられていて、鉄板は現存しないと思われていました。
しかし、20217年4月5日、福山市内の民家に、2枚の鉄板が現存していることがわかりました。空襲による高熱でねじ曲がり、数か所に鋲の穴があけられていたそうです。厚さ1.5〜2.8ミリ、長さ25.1〜25.4センチ、幅7.5〜11.3センチ
。
鉄板はお城エキスポ2021で展示されていました。
復元
鉄板が発見されたことで、現在福山城天守の鉄板復元作業が進められています。
8月28日一般公開。
因みに...
1698(元禄11)年、岡山藩の記録文書である『備後福山之覚書』に「御天守北ノ方ハ鉄包残ル三方ハ白土ニ相見五重ノ御城也」と、北側に鉄で覆われていたことが記されています。
また、古写真にも鉄で覆われた福山城天守が写されていて、鉄板が存在していたことが分かっていても、実像が解明されなかったのですが、実物が発見されたことによって、さらに研究が進められているそうです。