2021年、天守が一般公開され話題になった熊本城には、多くの伝説が残されています。
その中の9つをご紹介いたします。
天守の伝説
熊本城を築いた加藤氏の後に城主になった細川氏の当主が天守に登ると、加藤清正(熊本城築城者)が葬られた発星山から大入道が現れてにらみつけてくる。
と、いう伝説。
山伏塚の伝説
実は城の北にある「山伏塚」は、熊本城を築城した時に城の安全を祈禱した茶臼山の修験者が、帰る途中に、城の秘密を知ったとの理由で殺され、それを祀ったものだといわれています。
生き埋め伝説
1589年に加藤清正に殺された木山城主山本弾正の遺児、横手五郎が、熊本城築城時に潜入したが身元が発覚してしまい、熊本城内に生き埋めにされてしまったという伝説。
横手五郎伝説
生き埋めにされた、横手五郎は怪力で、熊本城の工事の際、
巨石を首にかけて持ち運んだと言われています。その時の巨石は今も「横手五郎首掛石」として、熊本城本丸に残されています。
幕張り工事
加藤清正は熊本城築城の際、築城技術の漏洩を防ぐため、幕を張って工事をしたとされています。
法華坂の伝説
熊本城にある法華坂には、重箱婆と呼ばれる妖怪が出るといわれています。重箱を持った婆が「ご馳走はいらんかえ」といい、石を担がせるというのです。
また、坂にあった茶屋で、のっぺらぼうの重箱婆に会ったという話もあります。
銃くれ井戸の伝説
熊本城に鎮台があった頃、銃器庫の歩哨に立った兵士が井戸に銃を立て掛けたまま居眠りしていたが、兵士が起きると、銃がなくなっていた。兵士は責任をとって井戸に身を投げた。以後雨に夜になると井戸から「銃をくれ」と呼ぶ声が聞こえたといいます。
銀杏の伝説
熊本城築城にあたって、清正が銀杏をに植えた時、「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時、この城で戦が起こるだろう」と行ったとされています。そして、西南
戦争で熊本城が戦場になった時、この銀杏は天守閣と同じ高さになっていたと伝わっています
熊本城は別名、銀杏城と呼ばれるくらい、銀杏で有名。
地図石
「地図石」と呼ばれる石畳があります。城内で唯一、石を平面に加工させて組まれており、熊本城の縄張りを表すとも、日本の地図とも言われています。また、石が99個使われていることから、城の長寿を願ったまじないだともされています。
熊本城の来訪者をもてなしたりするところという説もあります。