宇都宮藩の藩庁であり、関東七名城にも数えられる宇都宮城(栃木県宇都宮市)では、恐ろしい伝説が残されています。
1622年、徳川幕府2代目将軍、徳川秀忠が日光詣に行った際、帰路に宇都宮城に宿泊する予定でしたが、家光は宇都宮城に寄らずにそのまま江戸へ帰りました。その一件が不自然で、宇都宮城城主、本多正純が、幕府に対して謀反を企て、部屋に釣り天井を仕掛け、秀忠を暗殺しようとしたのではないか?という、無実の噂が立ってしまい、4か月後に正純は城を召し上げられてしまいました。釣り天井とは天井を落として圧死させるための暗殺装置ですが、宇都宮城には釣り天井などありませんでした。
実は、本多正純が幕府の推薦で宇都宮に入部した時、宇都宮の大名だった奥平氏は追放されていました。そのため当時、奥平氏の当主、忠昌の母親だった亀姫(徳川家康の長女で奥平信昌の正室)は本多正純を恨んでいたと考えられ、正純を失脚させるために噂を流したという説があります。では亀姫が黒幕なのでしょうか?しかし正純は、無断で鉄砲を購入したり幕府に届けを出さずに城の石垣改修をしていたりしたので、謀反を疑われてもおかしくないでしょう。また、宿泊予定日、正純は火事を恐れて火を焚かせなかったことや、警備のため、堀に菱を入れたことも謀反を疑われた理由の一つとされたいます。
いずれにしろ、宇都宮城には釣り天井は存在しなく、本多正純に恨みを持つ誰かが噂を流したとも考えられますが、本多正純は宇都宮入部後、2年掛かりで城域を2倍余りにも拡張し、城の改修を進めていたので、幕府にとって脅威だったのでしょう。