2016年4月、熊本城を最大震度7の地震が襲い、重要文化財建造物13棟、復元建造物20棟のすべてが被災。石垣も崩落した。
震災から6年が経った2022年春、熊本城に行きました。その時の現状と、これからの課題
他にも、飯田丸五階櫓なども含めて、ぼちぼち無くなっていた。
加藤清正は、藤堂高虎と並んで築城の名手と呼ばれていた。特に石垣を造る技術は戦国一だった。城郭界では清正が普請した石垣を「清正流石垣」ともいう。
熊本城築城時は、築城技術の漏洩を防ぐため、普請、作事を幕を掛けて作業したといわれる程だ。
左が清正の石垣、 右が現代に復元した石垣
それでも、復元した天守内部には地震対策が施されており、修復工事も進められている。
長塀は復元が終了したようだ。
震災から6年が経った2022年春、熊本城に行きました。その時の現状と、これからの課題
石垣が固められている
有名な桝形の石垣が...コンクリのようなもので固められていた。崩落対策。地震で石が崩落し、欠けたり割れたりしたため、修復が難しくなってしまったそう。地震では城全体の約40%の石垣が被害に遭った。
宇土櫓の損壊
宇土城から移築されたともいわれ、天守級の大きさを誇る有名な櫓ですが、熊本地震の影響でコンクリートの基礎は割れ、外壁も崩れかけている。写真でも櫓全体が左側に傾いていることが分かる。 2022年秋、解体される。解体間近の櫓を見れたことはとても貴重な体験だった。
がんばれぇ〜
傷んだ建物
熊本地震で、東十八間櫓、北十八間櫓が全壊した。他にも殆どの建造物が被災した。外壁が崩れている
↑南大手門は歪んでいる↓
解体された建物
西大手門。行った時には既に解体工事が完了していた。
他にも、飯田丸五階櫓なども含めて、ぼちぼち無くなっていた。
加藤清正はすごかった
近代に復元整備された石垣は崩れているのに、熊本城築城者の加藤清正公の石垣は崩れていない。加藤清正は、藤堂高虎と並んで築城の名手と呼ばれていた。特に石垣を造る技術は戦国一だった。城郭界では清正が普請した石垣を「清正流石垣」ともいう。
熊本城築城時は、築城技術の漏洩を防ぐため、普請、作事を幕を掛けて作業したといわれる程だ。
左が清正の石垣、 右が現代に復元した石垣
石垣の崩落
6年経っても修復が未完了
↑ここは地図石という広場があったところ。訪問者をもてなしたりするための施設と考えられている。石垣が崩れてる。
震災から6年
まだ、石垣や建造物などの修復は完全に完了していなかった。特に石垣の状況には衝撃を受けた。それでも、復元した天守内部には地震対策が施されており、修復工事も進められている。
長塀は復元が終了したようだ。
天守内部一階
長塀
天守外観。天守は最近復元完了。瓦が漆喰で白い。
天守からの景色