日本と西洋の城造りは大きく異なっている。

縦深防御

西洋の城は、中枢部を一つの高い城壁で囲うものが多い。対して日本の城は、比較的低い城壁を何重にも囲う多層防御構造を採用した。
敵が中枢部に至るまで徐々に殺傷し、最終的に内郭で殲滅する仕組みだ。外郭が蹂躙される恐れがあるが、代わりに多くの敵引き込み、倒すことができる。また、日本の戦国大名は領国に支城網を巡らせてあるので、他の支城からの援軍が到着するまでの時間を稼ぐ効果もあった。

石垣

西洋の石垣は、石同士をモルタルなどで接着し、石と石のすき間を低減していた。全体を安定させ、防御面では敵の足場を減らすためである。
しかし地震の多い日本の城の石垣はあえて接着しなかった。理由は、震災時に石が衝撃を分散し、崩落被害を最小限にとどめることができるからである。柔構造と呼ばれているこの高度な技術は日本の誇りだ。

名前

西洋の城の防御施設の名前は以下の通り。
郭=ベイリー
丘=モット
天守=キープ
城=カッスル
です。

ヨーロッパの城の歴史

ヨーロッパの城の場合、10世紀~11世紀位までベイリーとモットを橋でつなぎ、モット上にキープを建てたりする築城方式をとった。【モットandベイリー】 軍事的緊張の高まった中世では、戦闘を意識し石造りになる。近世になると、絶対王政の中で軍事的必要性が薄れたため、館や政庁へ変貌する。なお合戦を想定していないため装飾が多くなった。城郭都市が本格化。